東北の森、三内丸山遺跡の植物

植物療法の中で、

ハーブやアロマ、

フラワーエッセンスなどを

中心に置いている色と植物ですが、

森林療法という領域もあります。

詳細は以下より。

プチ森林療法スポット、明治神宮

で、この度こんな企画を青森にてやるわけですが、

KUKURI GRID NEO IN AOMORI

東北の森林だったり、三内丸山遺跡の植物に

興味が出てきました。

日本には、

常緑広葉樹林、落葉広葉樹林、針葉樹林

の3つの森林がありますが、

東北地方は、落葉広葉樹林

が大半をしめています。

落葉という文字が示すとおり、

春に葉が緑になり、秋には紅葉して

葉が落ちる四季折々の変化が楽しめる

樹木です。

ブナ、ミズナラ、コナラなどを

中心にクリやケヤキ、などの樹木です。

↪ブナ林

このような植物がメインになったのは

後期旧石器時代から、縄文時代にかけて

地球の温暖化とともに、

針葉樹林↪広葉樹林と変化していったから。

そして、この広葉樹林が縄文人の活動

に大きくかかわっていたといいます。

狩猟採集生活を行っていた縄文人は、

ナラやクリなどを採集し

縄文文化が生まれました。

三内丸山遺跡の生態系の研究では、

縄文人がこれらの森林を

ただ受容していた

だけではなく、

人為的に生態系を

創り出してきたのではないか?という

証拠も見つかっています。

食料、建築、土木、燃料などに植物を

つかいながら、それらが枯渇しないよう

人為的に維持管理していたってすごいね。

また、縄文時代後期には稲作がすでに

渡来していたといわれており、

稲作がつたわったのは縄文時代の終わり

稲作ではないけれど

原始的な農耕は

縄文時代でも行われていたとされています。

日本原産のマメ(大豆)の栽培に関しては、

三内丸山遺跡が起源ではないかといわれても

いて。

丹波の黒豆は三内丸山遺跡で発見された

ツルマメと似たようなDNAを持つらしい。

中国原産の大豆とは

また違った種なのだそう。

三内丸山遺跡の集落が気候変動により

縮小、なくなってしまった後、

人々はそこから南下していきマメが

京都、ならびに多方面に

伝わっていったかもしれないですね。

縄文時代の人々の交易ルートは

想像以上に広く、

日本列島の中でも色々な

地域のものが遺跡から発見されている

ということだけでなく、中国産の

耳飾りなども発見されていること

から海外との交易もあったのでは

ないかと言われています。

★香取神宮:船の神様 ↑

もちろん、外から来るということは

日本から出て行ったものもあるので

交易によって運ばれていった

日本の種や、植物、そして人も

いるのかもしませんね。

そうなると、世界に日本の古代のDNAを

持っている人がいてもおかしくない。

日本になんだか惹かれたり、

縁がある海外の方って、実は

そんなDNA持ってたりして。

そんなことに思いを馳せるのでした。

参考文献:東北学 東北の森一万年の旅

     三内丸山遺跡:植物の世界

 

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