9の花咲くヒメ(秘め:媛)たちのささやき

3.9KUKURI GURID NEO@アトリエアクイールご参加いただきました皆さまありがとうございました。

そして、大切な焦点にはしっかりと光を当てつつも軽やかにワークをリードしていただいた今村仁美さん、このワークにもっともふさわしい次元の場所を提供いただいたアトリエアクイールの岩戸紀子さん、重ねてありがとうございました。

晴れやかな小春日和の3月初めに、こうして集った9名の!素晴らしい媛のみなさんで、神社を訪れて美味しいランチをいただき、そして、光の!宇宙船に乗りまして(笑)、菊理媛のおひざ元である白山神社まで足を延ばして巡礼し、そして最後はグリッドを美しくくみ上げるワークと、エッセンスで「整えるワーク」とモリモリに要素を詰め込んだ(笑)楽しくも濃ゆいワークでしたね~~~。

  

白山神社には美しい花が沢山~。野に咲く花のように~と歌いたくなるようなけなげな小花たち。

私は、「3」の部分を担当させていただいたのですが(笑)くみ上げたボトルの中では「12」が気になり。

「12」はカタカムナの数霊では「イワナガヒメ」に当たります。どんな女神様だといわれているかと言いますと…

古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記する。他に苔牟須売神とも称される。

大山津見神(おおやまつみ)の娘で、木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)の姉。

木花之佐久夜毘売とともに天孫邇邇芸命(ににぎ)の元に嫁ぐが、石長比売は醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り、石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた

ということで、なんだか悲しいお話なのでありますが、実はこの女神様、本来はとってもお美しい方だったけれども「醜い=見えにくい」神様だったゆえに表舞台に上がることがなく、そのまま封印されてしまったとの説もあります。

そして「みえにくいもの」に鈍感だった邇邇芸命は、短命になってしまうのですが、「みえにくいもの」は現実社会の中ではなかなか「評価されない」ものでもあります。例えば「空気」だったり、「量子」だったり「ヒモ」だったり、ミクロの中にあるようなものは「目で見えない」ので忘れられがち。そして、家庭だったら「内助の功」のようなもの、会社だったらスタッフ部門の方の働きとか、数値で表せない働きや、雰囲気、目立たないもの、目立とうとしないもの。そういったものは、とかく無視されがちな傾向にありますよね。人はついつい「リア充そうに見えるSNS」だったり「肩書」や「現実社会で何を成し遂げたか」という表に出てきている事の「華やかさ」に目を奪われてしまいます。

でも実は「みえにくい働き」こそがその「根底」を支えていて、そこが崩れたとたんに「死」さえ招いてしまう訳です。国歌である「君が代」もまた、「さざれ石の巌となりて」と「岩」が長寿の象徴とされています。

もう一つの「みにくいもの=みたくないもの」と言えば、自分の中にある「闇」や「悪」的な要素。そこを「見ないようにする」「蓋をする」傾向もあるように思います。「ありのまま」は引き続きブームですけれど、どうも「今の自分から進化しない事」の言い訳に使われる節もあり、そうなるといつまでたっても現実は「ループ」してしまいますよね。

そりゃそうだ、だって、そこに「本当の自己受容」なんてないのだから。「闇」「悪」と思っている事、考えている事を「観察」してみると、違うところから急に光が当たって、「思い込み」が分かる、反転することがあります。「単なる思考ぐせ」だったり、「選択ぐせ」だったりに気が付くと、もうそれは選ばないようになる。そろそろ全体として、そういうクセを本格的に修正していく時代なのかもしれないですね。筋トレみたいに、少しずつ変わっていくから焦らずに。

イワナガヒメはそんなことに気付かせてくれるエネルギーの女神様なのかなあと。思っていたら、最後に私は、ネタであるかのように仁美さんがお持ちになった「京都タロット」で「コノハナサクヤヒメ」を引いたよね~。姉妹の媛は表裏一体。どちらも自分の内側に存在している「エネルギー」の話。

さらに「京都タロット」の岩倉ミケさんのタロットパースペクティブがとっても絶品なのでぜひこちらからご賞味ください。

京都タロット「宙のメサ―ジュ」

西洋タロットの『運命の輪』との対応を示す大きな車輪が特徴。虎は五百歳を迎えると白虎になるとされ、成熟を表し知恵と強さを備え、身籠っている女性を強く守っている。また白虎は月の女神の化身ともいわれ、もう充分に月満ちた臨月の女性の傍で、月の満ち欠けを司り、まさに分娩の時を共に迎えようとしているのだ。

木花咲耶姫は見目麗しく愛された女神として登場する。めでたさを寿くが如くの一面の桜。カード全体が「コノハナ」のエネルギーに満ち、この後の好転を暗示する。彼女が祀られた神社は「子宝」と「安産」というご利益が謳われるように、運命は、あなたを通じて何かを生み出そうとしている。その好機は「突如やってきた」ように感じるかもしれない。「運命的に訪れた」ようにも思えるかもしれない。しかし、月満ちれば花は咲き、月満ちれば赤子が産まれるのは必定で、この幸運はかつてあなたが世界を愛したことの結実である。

《拾》コノハナ – 10.Konohana –

いつかの優しさが報われる 「京都タロット 宙のメサ―ジュより抜粋させていただきました」

京都タロットによれば、コノハナサクヤヒメが「10運命の輪」で、「9隠者」がイワナガヒメでした!ククリヒメ(99理)、イワナガヒメ(9タロットの隠者)、コノハナ(9の花)サクヤヒメ。いやはや、日本の神様は「くくってしまえば」本当は「一つ」なのかもしれない…という理論を籠神社の宮司が教えてくれたなあとふと思い出しました。多次元同時存在理論という概念です。

そして、写真をもう一回だしちゃうけれど「ことはカード」を引いたら「ONE ひとつになる」が。

うまいことオチがつきましたよね、これ。

KUKURI GURID NEOのエッセンスもできました。これからそれぞれの日常をサポートしてくれるバイブレーショナルなツールとしてお使いいただけるとありがたいなあ。沢山の瓶を並べて、作り甲斐ありましたし、わくわく感が半端ない感じでしたね。

KUKURI GRID NEO@根津 チームの皆さんで最後に記念撮影を。

2019年3月11日 震災9年目の前日に

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