植物療法士であり、直観古代史研究家である

☆植物療法もやってます:ゼラニウムでティンクチャーを作るところ

深い海のなかでは、あらゆる分子がたがいのパターンを反復し、やがて新しく複雑なものが形成される。それらは、みずからと似たものをつくり、新しいダンスがはじまる。大きさと複雑さを増しながら、生きているものが、原子のかたまりが、DNAが、たんぱく質が、さらに複雑なパターンを踊る。そのゆりかごから出て乾いた陸にあがり、今ここに立っている意識を持った原子、好奇心を持った物質は、あれこれと思いをめぐらすことの不思議さを思いながら海に向かって立つこの私は、原子の宇宙、宇宙の中の原子なのだ。

リチャード・ファインマン「脳の中の幽霊、ふたたび V・S・ラマチャンドラン 山下篤子訳 角川文庫 p156」

こんな詩的な表現ができる上に、ノーベル物理学賞を取り、女性にもモテ3度結婚し、常に冗談を絶やさず死に際の言葉は「2度と死ぬなんて、まっぴらだ。全くつまんないですから(I’d hate to die twice. It’s so boring.)」だったという。リチャード・ファインマンはアメリカの物理学者で、魅惑的な天才だ。

で、何が言いたいかというと、私たちは「意識を持った原子、好奇心を持った物質」です。「原子」は、素粒子からできていて、現在の「物質」の最小単位は「素粒子」。この「原子」や「素粒子」そして「光子」など、ミクロな世界の住人をまとめて「量子」といいます。

こいつら「量子」の不思議なふるまいが物理学の思考実験で観測されてしまい、科学者達は騒然となりました。

2重スリット実験の動画だよ

この実験から、量子は「観測した瞬間に確率が収束してある一点が存在するようになる」すなわち「量子は『粒子』であり『波』でもあると主張されるようになりました。

「なんやそりゃ。ほんまに科学なんかーーーい!?」

と吉本新喜劇ばりに大阪弁で突っ込みたくなる結論ですね。ただなぜそうなるのか?という理由はいまだわかっていません。なのに、この「量子の性質」を活用した「量子コンピューター」という技術はすでにかなり開発が進んでいます。これは、スーパーコンピューターの約1億倍というとんでもない処理速度を実現するそうです。

このコンピューターの原理は「量子力学の特徴を生かし、“0”と“1”の両方を重ね合わせた状態をとる“量子ビット”を使って計算する装置」『量子コンピューターが人工知能を加速する』(東京工業大学 西森秀稔、東北大学 大関真之共著)らしい。

ええええ?コンピューターは「0」か「1」の世界だって習ったぞ!“0”と“1”が一緒に存在するのって、「生きてる」と「死んでる」が同じ空間に存在するってこと?(→シュレーディンガーの猫

さ・ら・に、その「一点に収束」した以外の確率も、同時に存在し続けるという説を唱える科学者そして、オカルティスト達もいる。去年12月には「マルチバース宇宙論」衝撃の「Newton&ムー」特集企画が丸かぶり!!!なんてことも起こってしまった。正直、どっちもほしいです(笑)

 

で、私の話に戻ります。今日の題名にあるように、私は植物療法士である、そして、直感(直観)古代史研究家である。さらに、職業という意味では、あるお店の広報をやっていたり、販売員も務めております。

ファインマンさん曰く私が「意識を持った原子」ならば、「観測した瞬間に確率が収束して、ある一点に収束」します。それは、「見ている観測者(あなた)」がそう意識した瞬間に、もやもやした「波」が「粒」になるように、私という存在が「あなたの世界」で確定される。「植物療法士」と思う人にはそのように見え、「販売員」と思う人にはそう見え、「直観古代史研究家」と思う人にはそう見える。そして、そのすべての宇宙は、「ここ」に全部存在している。あれ、これってぜんぜん、おかしくないぞ(笑)

だから、まあぜひあなたの「観測したいように私を観測してください。」「粒だろうが波だろうがなんでもいいいわ」

それにしても、こういうことを考えていると、もう、この世界が冗談としか思えない。ほんと、「ご冗談でしょう?ファインマンさん???」(リチャード・ファインマンの逸話集、大ベストセラーです。お勧め♪)「困ります、ファインマンさん!!」(これもベストセラー、でも私はまだ読んでないな)と、天国のファインマンさんにお尋ねしたい気持ちでいっぱいです。

フォローしてね