★龍神のようにも見えるご神木も印象的な御手洗池です。
少し前から、「鹿島神宮」のイメージは
来ていつか、いつか?と思っていたの
ですが、「あ、夏至か」と腑に落ち
たので、7月22日の夏至に合わせて
行ってきました。
当日はレンタカーが借りれなくて、
おまけに雨降り。
バスで行けばいいのに、なぜか電車を
選択して
とにかく、これが、アクセスが悪くて。
1時間待ち、40分待ちと次の電車まで
の時間が空いて。
鹿島についたのは16時半。
「すでに疲れた。これはもう、
香取神宮にはいけないね。
ここまで来たのに残念」
と思っていたのですが、
鹿島の近辺に少し
宿がある場所があったので
「もうここに泊まるか!」
となりました。
「とまる!」となったら
急に元気になり
(帰ることを考えていたら
不機嫌になっていたのですが)
張り切って鹿島神宮へ。
★雨降りの鹿島の駅、人もまばら
まずは摂社があります。熊野や須賀なども。
立派な鳥居&門構えです。
拝殿はこのような感じ。
裏手にご神木があるというスタイル。
本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。
森の中に入っていくと、
さざれ石。そして神鹿の皆様。
更に奥へ奥へ森の中を歩いていくと、
奥宮。
こちらは、徳川家康公が関ヶ原戦勝
の御礼に現在の本殿の位置に本宮
として奉納したもの。
趣がありますね。
雨あがりで、みずみずしい植物たち。
「三つ巴」のマーク。
その後、水が渦を巻くさまとも解釈されるようになり、本来、中国では人が腹ばいになる姿を現す象形文字の巴という漢字が、形の類似から当てられた。水に関する模様であることから、平安末期の建物に葺かれた軒丸瓦などに火災除けとして、巴紋を施した。後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになった。ウィキペディアより
これは、「水」に関係するマークでも
あるんですね。
御手洗池の前の茶屋で休憩。
こちらは湧き水で入れたコーヒーや
お蕎麦もあります。
炭のマドラーでコーヒーを混ぜると
美味しくなるらしい!
マドラーは持ち帰り可能でした。
神秘的な御手洗池です。
なんと、40リットルものお水が一日に
湧き出ているそうです。
昔はこちらで、禊をしてから参拝した
そうで、いまでも大寒禊は行われて
おるようです。
御手洗池と反対側の森に進むと、
ナマズを踏んずけているお方が。
これがかの有名な「要石」
地震を起こす原因の鯰を
おさえていると古くから
伝えられています。
石の「頭」がちょっとしか
出てないですね。(笑)
さて、鹿島神宮の歴史を少し
調べてみたんですが、
「常陸国風土記」という
のがありまして、奈良時代に
いくつか作られた各国の特産や
山川などの名前の由来などが
まとまられた「風土記」シリーズ
の一つ。こちらに「鹿島」は
「香島」とあるのですが、
とても素敵に描写されています。
「天の大神の社のまわりには、潤い流れる泉があり、朝夕の組水になっており、高地である。様々な草花が咲き乱れ、かぐわしい香りを放っており、神と仙人が隠れ住んでいるような場所だ。くしき力を持つ何かが生まれ出る土地だ。その佳麗な不思議さは、とても書き表すことができない」(鹿嶋の歴史原始・古代編 財団法人鹿島市文化スポーツ振興団)
今でも十分神秘的だけれど
昔はさらにすごかったのかも
しれませんね。神様と人が
同居する香島。
それから、大和朝廷の蝦夷制圧
にもこの地域から参戦しており、
鹿島神宮の宝物館には、
東北地方では英雄、大和朝廷
からは悪路王と呼ばれた
阿弖流為の首(人形)
と首を入れた入れ物が
あるという…う、怖い。
かつて大和朝廷の軍事的な守護神
とされたのが武甕槌大神でしたので
その意味で奉納されたのでしょう。
宝物殿は休館中でしたが、
ちょっと見たくないなあという
のが正直なところ。
東北人としては当然ですね。
阿弖流為の魂が平安でありますよう
お祈りいたします。
今の日本はなんだかかんだ
言って平和です。
ありがたいことですね。
明日は、息栖神社と香取神社について
書きたいと思います。
最後まで、お読みいただき
ありがとうございます♪
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