☆海の京都「天橋立」
このように「ある出会い」が「出来事」が人生の方向性を変えてしまうようなことがある。それは決まって「想定外」の出来事。いままでの意識が捉えられなかった次元や空間が急に立ち上がる時。液状の海から、個体として人認知できる物質が立ち上る時。
私は昨年8月京都に滞在していました。前段として、「社団法人フィトセラピー協会」のインストラクター資格をコンプリートして「植物療法士」としての活動を本格的にしていこうとしていました。協会の「講座」を教える講師として、割と本気でやっていこうと思っていました。その証拠に、京都の写真家の友人にイメージフォトまで撮影してもらっていました。メイクさんもお願いしました。これね(笑)どんだけ本気かわかってもらえるかな。
photo : satoko noguchi https://www.satokonoguchi.com/
make: mari ukai https://chaperon.exblog.jp/
それで、京都の滞在1週間では、いままで行ったことのない場所に行こうと思い、なかなか足が伸びなかった丹波の天野橋立と籠神社も予定に組み込みました。
伊勢の外宮の豊受大神は、籠神社の奥宮である眞名井神社から移られたそうで、これは後から知ったことですが「倭姫」も籠神社から帝に嫁いだ「八小止女」と垂仁天皇の娘なのだそう。(以下の系図を参照ください→籠神社のHPからいただきました)
古代史好きな私は、ワクワクしながら、籠神社に最初にお参りしまして、そのあと、奥宮に。奥宮は残念ながら工事中だった。けれど、眞名井の井戸はとても雰囲気が良くて、「特別の場所」のように感じる。なんとなく、この周辺の雰囲気や、土地の気配は、福岡の宗像大社の感じにも似ているなあ。
☆眞名井の井戸、このあたりとても雰囲気が良いです
と、そんなことを思いながら、御朱印を受け取るために社務所に戻る。
すると、
「どこからいらしたのかな?」
振り返ると、眼光が鋭い老人が立っていた。
「と、東京から来ました」
服装からして神社の方なんだろうか。お年は重ねていられるようだけれどとにかく眼光が鋭い。口調はやさしく穏やか。
「歴史の研究は、どのあたりまで?」
「はぁ?歴史の研究???うーんと、なんというか、、、私は倭姫とはご縁があるようなんですが。」
「倭姫は、うちの出ですよ。お母さんが帝に嫁がれて、お生まれになったんですよ。(上記家系図参照)家系図を見られるといい。」
「そうなんですか…知らなった。倭姫が豊受大神を伊勢に移されたんですよね。」
「そう言われています。天照大神と豊受大神は一対です。神道の神の神髄は、多次元同時存在の法則だと私は思っています。」
「多次元同時存在の法則?」
眼光鋭い不思議な翁との対話、続きます♪
(つづく)